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旭川地方裁判所 昭和44年(わ)135号 判決

被告人 大木昇

昭一九・五・七生 自動車運転手

国本こと李[王光]洙

一九二二・五・二七生 飲食店経営

主文

被告人両名をそれぞれ懲役四月に処する。

未決勾留日数中、被告人大木昇に対しては五〇日を、被告人李[王光]洙に対しては三〇日をそれぞれ右各刑に算入する。

被告人両名に対し、この裁判確定の日から二年間右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人福島敬子、同鈴木利雄に各支給した分は被告人両名の平等負担とし、国選弁護人に支給した費用中その三分の一は被告人大木昇の、証人松山健一、同水野健一、同川畑登に各支給した分は被告人李[王光]洙の各負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一  被告人大木昇は昭和四四年四月一二日午後一〇時三〇分頃、北海道天塩郡遠別町字本町三丁目八二番地の四所在の飲食店万福食堂において飲食中、客の首藤友一(当時三六年)が酒に酔つて執拗にからんで来たことに立腹しやにわに同人の顔面を手拳で一回殴打して同人をその場に転倒せしめたうえ同人の襟首を掴んでその身体をひき起しながら胸部および腹部等を右足で数回蹴り上げるなどの暴行を加えたものである。

第二  被告人李[王光]洙は判示第一記載の場所において飲食店万福食堂を経営していたものであるが、前同日午後一一時二〇分頃、同店カウンターの出入口付近に酔いつぶれて寝込んでしまつた前記首藤を起すため声をかけたが同人が容易に目覚めそうになかつたため、やむなく同人の足首を掴んで店外にひきずり出したところ、同人が被告人李の後を追つて再び店内に戻り訳のわからないことを言つてからんで来たため立腹し、首藤の襟首をとらえて店外に押し出したうえ同店前路上において倒れている同人の右側腹部付近を一回足蹴にして暴行を加えたものである。

(証拠)(略)

(法令の適用)

被告人両名の判示各行為は刑法二〇八条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので所定刑中いずれも懲役刑を選択し、その刑期の範囲内において被告人両名を各懲役四月に処することとし、刑法二一条を適用して被告人大木に対しては未決勾留日数中五〇日を、被告人李に対しては同三〇日をそれぞれ右各刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用して被告人両名に対しこの裁判確定の日から二年間それぞれ右刑の執行を猶予することとし、事訴訟法一八一条一項本文により訴訟費用中、証人福島敬子、同鈴木利雄に各支給した分についてはその各二分の刑一づつを被告人両名に平等負担させ、国選弁護人に支給した費用中その三分の一は被告人大木に、証人松山健一、同水野健一、同川畑登に各支給した分については被告人李にそれぞれ負担させることとする。

(検察官および弁護人の主張に対する判断)

被告人両名に対する本件訴因は傷害致死であつて、公訴事実の要旨は、「被告人両名は判示各事実記載の日時場所において首藤友一に対し約四〇分の間隔をもつて判示各暴行を加え、首藤をして昭和四四年四月一五日午後七時二二分北海道天塩郡遠別町遠別町立国保病院において肝臓裂挫傷、十二指腸裂傷のため死亡するに至らせたものであるが、右傷害致死の結果は被告人両名のいずれの暴行により生じたものかを知ることができないものである。」というにあるところ、弁護人三井政治において被告人大木の判示第一の暴行と右傷害致死との間には因果関係がない旨、また弁護人小笠原六郎において被告人李の判示第二の暴行については犯罪の証明がない旨主張するほか、検察官、弁護人の双方において、本件事案の如き場合に刑法二〇七条の適用があるか否かについて、その主張が対立しているので以下これについて順次検討を加えることとする。

一  弁護人三井政治の主張について、

(一)  弁護人三井政治は、首藤友一の傷害は以下に述べるように被告人大木の判示第一の暴行によつて生じたものではないことが明らかであるから被告人大木に対しては刑法二〇七条を適用する余地がないと主張する。よつてこの点について検討すると、篠田栄通の検察官に対する供述調書、池内温幸の司法警察員に対する供述調書、医師篠田栄通作成の鑑定書および司法警察員作成の昭和四四年四月二六日付捜査報告書を綜合すると、首藤の負つた傷害は肝臓裂挫傷(その一は肝右葉下面にあり胆のうにほぼ近接して肝の前縁より後方に向い長さ約八・五センチメートル、最大幅約二センチメートルに侈開したもの、その二は右一の右方約二センチメートルの位置において肝の前方から後方に向い長さ約八センチメートル、最大幅約一・五センチメートルに侈開し肝実質を露呈したもの、その三は肝左葉下面にあつて肝右葉に近接してほぼY字型を呈する長さ約三・五センチメートル、幅約二センチメートルの挫傷で肝実質を露呈したもの)および十二指腸裂傷(十二指腸下行部に存在する十字形の裂傷で長軸の長さ約一〇センチメートル、十二指腸粘膜を露呈したもの)がその主たるものであつて、同人は右傷害にもとづく腹腔内出血、胆汁の腹腔内貯留によつて自家中毒、栄養障害をひきおこし、心臓衰弱肺浮腫に陥つた結果死亡するに至つたものであり、しかして右傷害の原因となつた外力の種類および外力の加えられた部位は前記傷害の部位、形状および腹壁外表に損傷あるいは皮下出血が存在しないことに照して手拳、足蹴り等稜角のない鈍器によつて右側胸部および同腹部に加えられたものであり、また右外力の加えられた方向および回数は前記肝右葉下面に存在する二個の裂挫傷の形状から推して身体の正面から後頭部の方向に少くとも二、三回に亘つて加えられたことが認められる。そこで右事実を前提として被告人大木の判示第一の暴行が前記傷害を惹起するに足るものであるか否かについて以下弁護人三井政治の主張を検討しながら詳述するに、

(1) 弁護人は、被告人大木は床上に転つた椅子の脚部を抱きかかえるようにして四つ這いに倒れた首藤の左前方からその身体を蹴り上げたのであるから人間の足蹴の運動方向が通常は斜上前方であることに鑑みると被告人大木が首藤に加えた外力の方向は同人の身体正面から背面腰部に向かうはずであるが、前記篠田栄通の検察官に対する供述調書によると前記傷害の原因たる外力は首藤の身体の正面から後頭部の方向に向けて加えられているのであるから、右外力は被告人大木の判示第一の暴行によつて加えられたものではなく従つて右暴行と前記傷害との間には因果関係がないと主張する。しかしながら前掲各証拠によると、被告人大木は判示第一の犯行の際床上に転つた椅子(高さ約四四センチメートル、脚幅縦横約三三センチメートル)の脚部を抱きかかえるようにして四つ這いに倒れた首藤の左前方からその襟首を掴んで上半身を自己の膝上あたりまで持ち上げていたことが認められ、かかる場合首藤の上半身は床面に対し平行ではなく頭部を斜上方とする体勢であるはずであるし、このような体勢で相手を足蹴りにする場合には、その形は足先で真直ぐ「蹴りつける」場合と「蹴り上げる」場合とが、考えられるが、後者であれば(被告人大木と首藤の位置関係および首藤の体勢ことに首藤の腹部と床面との間隔が三五センチメートルにとどまらなかつたと考えられることなどの事実に徴すると被告人大木の足蹴りの形は前者であるよりもむしろ後者であるのが通常である。)その足首から先の方向は上方に達するにしたがい斜上前方から次第に垂直に変化し、これにより被害者の受ける打撃の方向は背面腰部に向かうよりもむしろ後頭部に向かう可能性がより大きいと認められ、被告人大木の判示第一の暴行と前記傷害の原因たる外力の方向とは決して矛盾するものではない。

(2) 次に弁護人は、首藤は被告人大木から襟首を掴まれた際同被告人から暴行を受けることを十分予測し、これに備えるため自らの力で起き上ろうとしていたのであるから首藤の腹筋は緊張状態にあり、従つて前記傷害に至る可能性は極めて少いと主張する。なるほど篠田栄通の検察官に対する供述調書によると腹筋が緊張している場合と弛緩している場合とでは身体内部の臓器に与える衝撃の度合が異なり、前者の場合は腹筋が防禦作用を営むため本件傷害に至る可能性が少いことが認められるが、関係各証拠により明らかなごとく、首藤は被告人大木にからみ出した頃にはすでにかなり酩酊しており、とくに被告人大木に顔面を殴打されただけで直ちに床上に転倒したこと、判示第一の暴行を受けた後も襟首をつかまれたまま戸口までひきずり出されていつたことなどの事実に照すと、首藤が被告人大木の暴行を予知してこれに備えるため自ら起き上ろうとしていたとの弁護人の主張は容易に措信しえないばかりか、却つて、当時首藤は被告人大木の暴行に対し全く無防備であつて、その腹筋の状態はむしろ弛緩していたと認めるのが相当である。しかも、かりに弁護人主張のごとく首藤の腹筋が緊張していたとしても後述のごとく被告人大木は憤激のあまり首藤の身体を極めて力強く足蹴にしているのであるから判示第一の暴行が本件傷害を惹起する可能性は決して少なくない。

(3) さらに弁護人は、被告人大木は判示第一の犯行の際既述のごとき体勢にある首藤の襟首を持ち上げながら前かがみになるような体勢で反動をつけずに床面から約三五センチメートルの距離にある首藤の腹部を蹴り上げたのであるから身体に加えられる力は極めて弱く腹部臓器を傷害することは経験則上不可能であると主張する。なるほど判示第一の暴行の際における被告人大木の姿勢が前かがみであつたことは弁護人主張のとおりであるが、前掲各証拠によると、被告人大木は前記の如き体勢にあつた首藤の襟首を掴んでその上半身を自己の膝上あたりまで持ち上げながら、首藤の右胸部付近を数回にわたりゴム長靴を着用した右足で極めて力強く蹴り上げたのであつて、右事実は判示第一の暴行の際被告人大木が首藤のかかえていた椅子の脚に自己の脚部を強打していること、および福島敬子が懸命に被告人大木の暴行を制止していること等の事実に徴しても明らかであり、これに照せば被告人大木の判示第一の暴行により本件傷害が発生する可能性は決して少なくない。

(二)  次に弁護人は、被告人大木の判示第一の暴行のごとく四つ這になつた首藤の襟首を持ち上げて下方から足蹴りにする場合と被告人李の判示第二の暴行のごとく仰向けに横臥している首藤を上から踏みつけあるいは蹴りつけた場合とを比較すれば本件傷害を生ずる可能性は後者がより大きいと主張する。なるほど関係各証拠によると両者を比較した場合本件傷害に至る可能性は後者の方がより大きいことは弁護人主張のとおりであるが、被告人の暴行による結果発生の可能性が経験上無視し得るほど低いものでない限り、他の者の暴行によるそれよりも低いというだけでは刑法二〇七条による同時犯としての責任を免れることのできないことは多言を要しないとこであり、被告人の暴行による結果発生の可能性が経験上無視し得るほど低いものでないことは前述のとおりである。

(三)  なおまた弁護人は、かりに被告人大木の判示第一の暴行と本件傷害の間に因果関係が存するとしても右因果関係は相当性の範囲を超えるものであると主張する。しかして池内温幸の司法警察員に対する供述調書中には首藤の胆のうは腫れ気味で、あまり強い打撃でなくても損傷を生ずるおそれがあつた旨の供述記載があるが、仮りに右供述が真実であつたとしても内部臓器にこの程度の欠陥を有する者は世上決して少なくないばかりか、前述の如く被告人大木の暴行は相当強度なもので首藤の右の如き内部臓器の欠陥の有無にかかわらず、本件傷害ひいては死の結果を惹起するに足るものであつたことが認められ、その他同被告人の暴行が首藤の死を生来したと仮定した場合にその間の因果関係が相当性の範囲を超えると認むべき事情は何ら存しない。

以上のごとく本件傷害の部位、形状、損傷の程度等と被告人大木の判示第一の暴行の程度、態様、回数、首藤の体勢等とを比較検討すると被告人大木の右暴行は本件傷害の原因としてかなりの蓋然性を有することが明らかであり、しかも本件は刑法二〇七条の同時犯として起訴されたものであるから、被告人大木の暴行と前記傷害ひいては死の結果との間に因果関係が立証される必要性はなく、被告人の暴行による結果発生の可能性が立証されれば足るものというべきである。従つて弁護人三井政治の前記主張はすべて理由がない。

二  弁護人小笠原六郎の主張について、

弁護人小笠原六郎は、判示第二記載の事実中、被告人李が万福食堂のカウンターの出入口付近に酩酊して横臥していた首藤の足をつかんで店外にひきずり出したことはこれを認めるが、被告人李が再び店内にはいつて来た首藤の襟首をとらえて店外に押し出したことならびに同店前路上において同人の右側腹部を踏みつけ又は蹴りつけたことはなく、従つて本件傷害致死について責任を負うべき謂われはないと主張する。よつて検討するに、証人松山健一の当公判廷における供述、同人作成の鑑定書、押収してあるゴム長靴一足(昭和四四年押第三五号の一)、同作業服一着(同号の二)、同ズボン一着(同号の三)、に被告人李の第二回公判廷における供述、同人の検察官および司法警察員に対する各供述調書、首藤イワの司法警察員に対する昭和四四年五月二九日付および司法巡査に対する各供述調書を綜合すると、判示第二記載の日時場所において首藤が着用していた作業服の右胸部ポケツト上に付着していたゴム長靴の足跡の紋様と被告人李が首藤を店外にひきずり出す際に着用していた被告人所有のゴム長靴(左)の底型紋様とは同種類の紋様であつて、同一鋳型によつて製造された型(東洋ゴム製スノースーパーNo.3印二五・五センチメートル)に属するものであるばかりか、北海道警察旭川方面本部鑑識課技術吏員松山健一の実験結果にもとづいて前記足跡と前記ゴム長靴によつて印象された足跡とを比較照合すると両者の摩滅による欠損部分の位置および形状等の特徴は九ヵ所に亘つて符合するのに反し、相違点は全くないものと認められ、これらの事実に徴すると前記作業服に付着しているゴム長靴の足跡は前記ゴム長靴によつて印象されたものと断定して差支えない。しかも判示第二事実挙示の各証拠によると、被告人李は判示第二記載のごとく同店カウンターの出入口付近に酩酊して寝込んでいた首藤を一旦店外にひきずり出したにもかかわらず、同人が被告人李の後を追つて再び店内にはいり訳のわからないことを言つてからんで来たため立腹し、首藤の襟首をとらえて店外に押し出したうえ店外から戸を閉め、三、四分間店外にとどまつていたこと、その間店内からは店外の様子を見ることができなかつたが、店外において口論をするような人声が店内にまで聞えていたこと、被告人李が首藤を押し出した際同被告人の妻安田富美子が誰にいうともなく「うちの人また叩かないばいいんだけど」と述べて被告人李が首藤に対し暴力を振るうことを怖れているかのごとき言葉をもらしていたこと、被告人李が戸を外から閉めた際、安田はカウンター内にいたにもかかわらず態々戸口まで行つて表戸を開けて店外を見ながら被告人李に対し「叩くんでないよ」とか「やめなさい」という意味のことを述べて被告人李の暴力の行使をたしなめているかのごとき言葉を発していたこと、その後被告人李は店内に戻つたがその際同人のズボンの右足部分がほころびていたこと、午後一一時三五分頃福島敬子らが帰途についた際首藤が店の前で横臥しているのを目撃していたこと等の事実が認められ、かつ右認定事実に被告人李以外の者が前記長靴を着用して首藤の右胸部付近を足蹴にし又は足蹴にする機会があつたとは認められない事情を併せ考えると被告人李の判示第二の犯行は優にこれを認めることができ、被告人李の当公判廷における供述、同人の検察官および司法警察員に対する各供述調書ならびに安田富美子の検察官、司法警察員および司法巡査に対する各供述調書中弁護人の主張に副う部分は到底信用することができない。

以上の次第であるから弁護人小笠原六郎の前記主張は理由がない。

三  刑法二〇七条の適用に関する主張について、

検察官は首藤に対する被告人両名の判示各暴行は時間的、場所的に近接して行われたものであり、かつ本件傷害致死の結果は被告人両名のいずれの暴行によつて生じたものか知ることができない場合であるから刑法二〇七条の適用があり、被告人両名は本件傷害致死についてその責を負うべきであるが、かりに判示各暴行が時間的に近接しているとはいえないとしても刑法二〇七条は各暴行について必ずしも時間的、場所的な近接関係を必要とするものではなく専ら因果関係の立証困難を救済するために設けられた規定であるから被告人両名の判示各暴行についてはなお刑法二〇七条を適用して本件傷害致死についての責を負わせるべきであると主張する。よつて検討するに、判示各事実挙示の各証拠(略)を綜合すると、被告人大木は判示第一記載の日時場所において酩酊した首藤にからまれたため立腹のあまり、同人に対し判示第一記載の暴行を加えたが、憤懣が治らなかつたのでさらに暴行を加える意思で首藤の襟首を掴んだまま店外にひきずり出し、路上で口げんかをはじめたがその場に駈けつけた福島敬子に制止されて暴行を思いとどまり再び店に戻つて二、三分間で食事をすませて同日午後一〇時四五分頃同店を去つたところ、これと殆んど時を同じくして首藤が再び店に戻り、カウンターの出入口付近の椅子に腰かけていたが同日午後一一時一〇分頃には酩酊のあまり二度に亘つて椅子から転落し、ついにはカウンター出入口の床上に頭部をのせるようにして寝込んでしまつたこと、被告人李はこの間同店茶の間においてテレビを見たりして過していたが同日午後一一時一五分頃福島敬子から頼まれてやむなく店に出て前記のごとく酔いつぶれて寝込んでいる首藤を起そうと試みたが同人が容易に目覚めなかつたので判示第二記載のごとき事情経過で判示第二の暴行を加えるに至つたこと、一方首藤は被告人李から判示第二記載の暴行を加えられた後、少くとも翌一三日午前一時過頃までは同店前路上に横臥していたが、同日午前二時頃激しい腹痛をこらえながら遠別町字本町五丁目の自宅に帰えりつき、同日午前三時前頃家人に付添われて遠別町立国保病院に入院したが同月一五日午後七時二二分頃肝臓裂挫傷、十二指腸裂傷にもとづく腹腔内出血等により死亡するに至つたこと等の事実が認められ、しかも被告人大木の判示第一の暴行が首藤に対する右傷害の結果を発生するに足るものであることはすでに認定したところであり、一方被告人李の判示第二の暴行もまた右傷害の結果を発生するに足るものであることは仰向けに横臥している被害者に対しその右側腹部付近を踏みつけ又は足蹴にした場合右のごとき傷害を惹起する危険性が多分にある旨の医師篠田栄通作成の鑑定書および同人の検察官に対する供述調書からも明らかであるとはいえ、本件傷害の結果が被告人両名のいずれの暴行によつて生じたものであるかは本件全証拠を精査するもこれを知りえないのである。

そこで右の判示各暴行につき刑法二〇七条の適用があるか否かについて検討する。刑法二〇七条は二人以上で暴行を加え人を傷害した場合に傷害の軽重を知ることができずまたはその傷害を生ぜしめた者を知ることができないときは共同者でなくても共犯の例によることを規定している。ところで刑法は行為者が共犯関係にある場合を除いては各自が自己の行為から生じた結果についてだけ責任を負うことを原則としているのであつて、行為者は第三者のしたかもしれない行為の結果についてはそれが自己の行為によるものであることが合理的な疑をいれない程度に立証されないかぎり責任を負うべき謂われはない。しかしながら現に生起する犯罪形態の中には、数人による喧嘩闘争などにおいて典型的にみられるように外形的には共犯現象に類似しながら、実質的には共犯でなく、あるいはまた共犯の立証が困難で、しかも各人のした行為の結果を遂一明確に立証することの不可能な事例も決して少なくないこと、このような犯罪現象において傷害ないしは致死の結果が現に発生しているにもかかわらず行為者を知ることができず又はその軽重を知ることができないというだけの理由で単に暴行の限度でしかその責任を問いえないとすることは発生した結果を考慮するときあまりにも刑の権衡を失することになるばかりか一般予防の見地からみても不合理な結果をもたらすと考えられること、しかもかかる事例は決して稀なことではないばかりか暴行罪と暴行による傷害罪(又は傷害致死罪)との間では故意および行為の内容において相等しいかあるいは極めて近似しているので暴行者全員に傷害の結果についての責任を負わせても実際上はさほど不当と考えられないこと等の事情に鑑み刑事政策上の要請から叙上の不都合を避けるため個人責任の原則に譲歩を求めて刑法二〇七条の例外規定を設け挙証責任を転換して立証の困難を救済するとともに共同者でなくとも共同正犯とみなしてその責任を負わせることにしたのである。かくのごとく刑法二〇七条は刑法の大原則に対する特別の例外規定であることからすれば同条の適用にあたつては右の法意に添つて厳格に解釈すべきことが要求されるのは当然であつて、単純な文理解釈により二人以上の暴行により傷害を生じ、その傷害の軽重又は傷害の惹起者を知ることができないということだけでは足らず、数人による暴行が同一場所で同時に行われた場合かあるいは少なくとも時間的、場所的に近接してなされた場合に限つて適用されるものと解すべく、検察官主張のごとく時間的、場所的関連を問わず専ら立証の困難を救済するために設けられた規定と解することはできない。しかも立法の趣旨が右のごときものであるとするならば時間的、場所的に近接しているか否かの評価も各暴行の時間的、場所的間隔を数量的にのみ捉えて決することはできないのであつて結局各暴行の動機、原因、態様、暴行者相互間の関係等から少なくとも一連の行為と認められる場合でなければならないというべきである。今本件についてこれをみるに、前記認定のごとく被告人大木の判示第一の暴行は昭和四四年四月一二日午後一〇時三〇分頃、判示第一記載の万福食堂のカウンター前において行われたものであり、一方被告人李の判示第二の暴行は被告人大木の右犯行が完全に終了して事態が平穏に復した後約四〇分を経過した同日午後一一時二〇分頃同店の店内および店外で行われたものであるから被告人両名の判示各暴行は場所的には同一場所において行われたものと評価することができるが、時間的には約四〇分の間隔があつて同時に行われたものとは到底いい難いし、また前記認定のごとく被告人両名は相互に相手方の暴行を認識しておらず、その原因も全く別個であるなど判示各暴行は、犯行の動機、原因、態様、被告人両名相互の関係等いずれの点に照しても、これを一連の行為と認めることができないのであるから判示各暴行をもつて時間的に近接して行われたものと評価することは相当でない。従つて本件について刑法二〇七条を適用することは到底許されないといわなければならない。

よつて主文のとおり判決する。

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